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エミネムとマイケル

昨夜、WOWOWでグラミー賞の特番を見ていた。
こちら

今年の第53回グラミー賞といえば、なんといってもエミネムでしょう。
最多10部門のノミネート。完全復活ですよね。去年も最優秀ラップ・アルバム賞を受賞してたけど、今年はどうなのか?まぁ、彼にはあまり興味はないですが。

アルバム総売り上げが9000万枚以上だそうで、人気と才能は認めます。マ様の7億何千万枚には遠く及びませんが、ものすごい数字ですよね。
一時は本当に社会現象みたいにあちこちでエミネム、エミネムと大騒ぎされてましたが、私は全く興味がなかったんですよね。なんかイメージがね…。曲も特別好きでもないし。っていうかやっぱり人がね…;


決定的に嫌気がさしたのが、2004年のシングル「Just Lose It」のPVの中で、マイケルに扮したエミネムが少年達と共にベッドの上にいる姿や、整形のこと、'84年のペプシのコマーシャルでの火傷事故まで、おもしろおかしく取りあげてマイケルを馬鹿にしたという事件があってから。
そりゃあマイケルファンとしては面白くないですよ。あれはやり過ぎ。笑えなかった。

マイケルもこんなことを言ったという記録が残っています。

「エミネムがPVで表現した僕の描写には非常に怒りを感じている。エミネムのことはアーティストとして尊敬してきたんだ。今回のことにはショックを受けているよ。このPVは僕や僕の子どもたち、家族、そして社会全体にとって不適当で失礼なものだ」

2004年12月、スティーヴィー・ワンダーも、ビルボード誌とのインタビューで「Just Lose It」のPVを非難。

「辛い時期にある者を攻撃するのは良くない事だ。エミネムの作品は高く評価している。2パックほどの素晴らしいアーティストだとは思わないがね。しかし彼があのようなレベルへ自分自身を貶めてしまった事には失望した。エミネムは偽善者だ。彼の成功は、主に低所得層や有色人種からの支持によるもの。だからこそ、彼のあのような態度は馬鹿げている」

スティービーが言っているマイケルの「辛い時期」― そうです。まさにこの時、裁判でマイケルは冤罪と闘っていたんですから。全く…。どういうつもりだったんだろう?明らかにマイケルを疑っていたか嫌っていたか;;


2005年2月、無罪判決が下る4か月前ですね、マイケルはインタビューで、『メディアにおける自分についてのセンセーショナルなレポートは「フィクション」だ』と語った。また、「Just Lose It」のミュージックビデオで自身をバカにしたエミネムを激しく非難する一方で、昨年のスーパー・ボウルでの衣装事件の後、妹のジャネットを励ましていたことを明らかにした。― FOX News

その後、2006年7月、「New York Daily News」によれば、マイケルがエミネムとのコラボレーションを望んでいるという驚くようなニュースがありました。
マイケルがエミネムと連絡を取ろうと試みたがエミネムからは全く応答がなかった、とのことらしいけど、真相はどうなのだろう?


『エミネムのことはアーティストとして尊敬してきたんだ。』
自分をあんな風にバカにした人間、しかもかなりの後輩に対して、そんな風にまずは言えるマイケルの人格を尊敬しますね。たぶんそれは本当だったから正直に言ったんだろうけど。才能ある人は素直に人の才能を認めることができるんだと思うんですよ、私は。
でも、それにしても心が広いですよね。エミネムは、それを受け入れる器はまだ持っていなかったんじゃないかな。

エミネムのことを語れるほど私は彼を知らないけれど、マイケルにもスティービーにも認められるほどの作品を生み出し、多くのファンの心を掴んでいるのだから間違いなく才能あるアーティストなんだと思います。

複雑な家庭環境で複雑な生き方をしてきた人だっていうことは知ってるけど、ここ数年の隠れていた時期に、何かまた変わった部分もあるのかもしれないな。
今回のこの10部門ノミネートで、やっと彼への興味が湧き始めたこの頃です。

それにマイケルはとても心の広い人だったから、もう何も怒ってなんていないんだろうな。

去年の授賞式でも気になったんだけど、マイケルの子供達がスピーチをしたり、アースソングをトリビュートした時、エミネムはどんな気持ちだったんだろう?3Dメガネ、掛けてたっけ?ウィル・アイ・アムとビヨンセにばかり気を取られ過ぎてた。


昨日の番組の中で、エミネムがディスった(dis=バカにした、軽蔑した)相手として、マライヤ、エルトン・ジョン、ブリちゃん、の3人を紹介していたけど、なぜかマイケルのことには触れなかった。
これはもうタブーなんだろうか?



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Ne-Yo ニューアルバムとマイケル

まだ「取り込中」(謎)は続いてますが、すいません、ちょっとこれだけ。

今朝、たまたまテレビをつけっ放しにしててよかった~~!
「スッキリ!!」に、Ne-Yoが生出演&生歌を披露してくれました!

ニューアルバムが今日発売(日にち変わってたんだ)ということで、新曲「Beautiful Monster」を、PVでも共演したダンサー達と一緒に歌って踊ってくれました!

朝から得した気分♪
ちょっとスタジオ狭すぎて、踊りにくそうに見えたけどね。ダンサーさんがMC席の後ろの出入り口っぽい所から登場して踊り出したのがやけに面白かったけどね(笑)
でもカッコよかった!




「比較しちゃダメ!- Ne-Yo」 の記事の中で紹介したニューアルバムからの曲だけど、私は「One In A Million」の方が、どっちかというと好きかも。
アルバムの発売日が延期になってたの知らなかった。予約してなかったからな。


番組の中で、マイケルのニューアルバムの為に彼が書いた曲についての質問にも答えていました。
前にインタビューでも答えていた通り、『どうしたらいいか悩んでいる。今はまだどうするかわからない』と言ってましたね。

マイケルはアルバムを作る時、自分が才能を認めたソングライターたちに曲を依頼して送ってもらい、その中から良いと思ったものがあれば採用するという形を取っていました。
依頼された方は、あのMJの依頼だということで、何をおいても喜んで取りかかりますよね。
でも、結局は何曲もの中で1曲だけ採用になったとか、全部ダメだったとか、そりゃもう採用されるなんていうのは大変なことだったらしいです。本当に名誉なことだったんですよね!

Ne-Yoが、マイケルがロンドン公演の後に出す予定だったアルバムの為に書いた何曲かは、結局採用されるかどうかも決定する前に、あんなことになってしまったんだそうです…(涙)

ものすごく残念だっただろうし、哀しかっただろうな。マイケルの為に全力で作った曲だもん。どうするかって言われたってすぐに答えなんて出るわけないです。
それに、今出すことで、マイケルの名前を利用しているように見えてしまうのも嫌だし失礼だと思う、ともNe-Yoは前にも言ってたし。Ne-Yoの様子を見ていたら、しばらくは具体的な話はなさそうだな。いい人だよ、Ne-Yo…。


だけどいつか聴いてみたいですね。
『いつか時期が来たら…』と今日答えてくれていたので、その日を待ちたいと思います!
その頃には、私も今よりも気持ちの整理ができているかな。


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17:30 | friends & partners | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑

比較しちゃダメ!- Ne-Yo

Ne-Yoが、新曲「One In A Million」のビデオクリップで、マイケルの「The Way You Make Me Feel」をupdateした(新しく作りかえた)、という記事(9/7)を見たのでチェックしてみた。

Ne-Yo updates MichaelJackson's "The Way You Make Me Feel"video in new "One in a Million" clip

こちらがそのビデオ




確かにビデオの内容は似てることは似てる。
お目当てのgirlを歌とダンスで口説き落とす、というコンセプト。

でも、"update"というのとは全然違う。
てっきりトリビュートとしてゆっくりテンポに作り変えたバージョンでも発表したのかと思ってしまったが、これは全くの別物だった。

この記事ページのコメント欄にざっと目を通して見たら、なんだかNe-Yoが気の毒になるような書き込みがたくさんあった。
Ne-Yoのことは認めているものの、マイケルと比べるな、updateなんてとんでもない、MJのように出来る人なんて誰もいない…、などなど、マイケルファン達の辛口批判的コメントが続々と書き込まれていた。

何人かの人も書いていたけど、これは、Ne-Yoが悪いわけじゃない。記事を書いたライターの表現が悪かった。
"update"なんていう言葉を使ってマイケルの作品と比べてしまったから、余計な誤解を生んでしまったようだ。

確かにNe-Yoはマイケルをリスペクトしていたし、もちろん影響もたくさん受けていて、仕事仲間でもあった。
これも"The Way You Make Me Feel"を意識して作ったことは間違いないと思う。
本当に心からの追悼の気持ちを込めて、このビデオクリップを作ったんじゃないかな。遊び心も交えながら。

前に紹介したジャスティン・ビーバーのビデオも、同じように"The Way You Make Me Feel"と似た部分があると感じたけど、そういう軽いノリで真似っ子したんじゃないのかなと私は思った。
cf.「Justin Bieber - ジャスティン・ビーバー」

言うまでもなく、Ne-Yoは歌もダンスもとても上手いし、この曲も私は好き。
ついつい体が動いてしまう。PVの中で見せるマイケルっぽい動きもカッコイイ!
比較なんてしなければよかったのに、ちょっと気の毒だなNe-Yo;

世界中の誰もがわかっていること マイケルのように歌って、マイケルのようにダンス出来る人なんて、この世に誰もいない。
唯一無二の存在のマイケル。
歌やダンス、独創的だったMVを、同じ次元で誰かと比較する必要なんてない。
影響を受けていない人を探す方が難しいんだるから。

そういうこと抜きで見れば、この新曲はすごくいい!

10/13と19日発売のアルバム、「Libra Scale」からの3rdシングルということ。
このアルバム、絶対聴いてみたい!

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12:15 | friends & partners | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

追記・MJとフレディ・マーキュリー

昨日のフレディ・マーキュリーの記事に、一部追記しました。
重要な内容ですので、是非ご確認をお願い致します。

あの記事の内容は、最後に<参考>として載せたように、マイケル研究家ミュージシャンとして有名な西寺郷太さんの著書を主に引用して書きました。
私自身、マイケルとフレディ両方のファンであることから、二人の関係についてはずっと謎に思ってはいたんです。いくつかの情報から、一時期とても仲良しだったのに疎遠になってしまったのは何かがあったんだろうと。
でも、特別必死に調べたわけでもなく、なんとなくうやむやになっていたんですよね。
で、今年になって西寺さんの本を読んで、なるほどーと思ったわけです。自分の知っている内容と合わせてうまくパズルのピースが繋がったような感じです。それで、昨日のような記事を書いたんですが…。

コメントで、あるご指摘を頂きました。
西寺さんの本の中に、ちょっと認識の違う部分もあるようなので、確認してもらいたいという内容でした。
その方の教えてくださったものを調べてみると、かなり違う部分があったんです。
それはあまりにも大きな違いだったので、慌てて昨日の記事に追記しました。

「QUEEN公式DVDに入っているフレディインタビュー」は、こちらの動画 から見ることができます。

この中で、「ステイト・オブ・ショック」についても、
『ミック・ジャガーが歌うことは聞いてた。僕はミュンヘンにいて録音に行けず、ミックが歌ってもいいか聞かれ快諾した。別にいいんだ、友達だからまた共作する機会はある』
と言ってます。
クイーンファンでこのDVDを持っている人なら、この内容はみんな知っているということですし、公式にフレディが自身の口で答えているので、フレディのあの時点でのコメントとしては間違いありません。

昨日の私の記事ですっかり納得してしまった方々、どうもすみませんでした。
あの記事が全て正しいわけではないということを、ここでご確認ください。
ただ、私の認識としては、「二つの見方がある」ということであり、どちらが真実なのかはマイケル本人に聞いてみなければわからないということです(ナンバー1ヒットの曲名以外は)。
そして、どちらを信じるかは私達自身の判断で、ということになると思うんです。

フレディが言ってるんだから間違いないだろう、という方もいるかもしれません。
西寺さんの本の方は、西寺さんが色々な情報の中からマイケルがこう言った、フレディがこう言った、という内容を集め調べて書かれたものであり、本当にそう言ったのか、誰かの伝聞なのかということになると曖昧な部分もあるにせよ、逆に全くの嘘やデタラメという証拠もない、ということです。

フレディが嘘を言っているというわけではないんですが、「社交辞令」という言葉もあります。
公の発言と本音は違うというのは、社会ではある意味、必要悪というか、いけない事なんだけど結構まかり通ってますよね。場合によっては「嘘も方便」という感じで、そのことで丸く収まるならばいいじゃないかという考えもあります。

ポール・マッカートニーとの関係を以前色々読んでいた時に、やっぱり人によって解釈も違うし、ポールの言葉も本によっては全く相反するものもあったりしたんですよね。それで、特にスターというのは公式に発言することと本音は違うんだなあという印象を持ってしまったので、なんだか疑い深い感じで嫌なんですが、フレディのインタビューも100%本音なのかな?なんて思ってしまうんです;だから、「二つの見方」なんて言ってしまいました。

ただ、フレディの言葉を信じたいとは心から思います。
そうならば、決して後味の悪いケンカ別れをしたわけではなく、ただお互いの忙しさ等から一緒に仕事ができなくなったということですから。
それに、ちゃんとマイケルは電話も入れて許可も取ったし、「ヴィクトリー」だって勝手に使ったわけじゃないということですから、ファンとしてはとても良い話ですよね。やっぱり、そっちを信じたいです



最後に。

私はMJのファンではありますが、研究者ではありません。
私の情報源は、世界中のマイケルについて書かれた本や雑誌や転載されたインタビュー記事、ネットでの情報などです。その情報源自体の信憑性は、マイケルの言葉で語られたものと事実のみを羅列したもの以外は、100%ではありません。少なからず、噂や憶測、個人的感情、伝聞による誤情報が含まれていると考えた方が間違いないからです。

私もMJ関連の本を読む時、全て鵜呑みにするのではなく、ちょっと語弊はありますがなるべく疑ってかかるというか、疑問に思う部分は調べてみる必要があるという気持ちで読んでいます。
なぜなら、マイケル本人がそういうものに悩まされ、翻弄され続けた人生だったからです。

これはマイケル本人の言葉だったので間違いないのですが、彼はよくこう訴えていました。
『僕の言葉だけを信じて。タブロイドの記事なんて信じちゃダメだ。』
(言葉は正確じゃないですが。あとで正確に訂正します。)

私は、基本的にはマイケルが発した言葉以外は信じてはいません。
ですが悲しいことにインタビュー嫌い、マスコミ嫌いだった彼本人の言葉というのは少ないんですよね。貴重なインタビュー記事と書いてあっても、編集されたり個人的解釈で前後の文章で装飾されてしまうと、マイケルの真の言葉は伝わってきません。
マイケルを良く知る信頼できる人達の言葉などを頼りに、これからも真実を探っていきたいと思っています。

たかがちっぽけなブログとはいえ、マイケルのことを書く以上、嘘や間違いは許されません。そうでなければ書く意味がないです。誤解され続けたマイケルを少しでも救えるようにと始めたブログです。今後はもっと慎重に書かなければいけないと思っています。今までも気をつけていましたが、出典や誰の解釈かということをより正確に記して、読んでくださったみなさんが更にご自分で判断できるような記事を書いていきたいと思っています。
また何かお気づきの点があれば、教えて頂けたら嬉しいです。

マイケルは本当に奥深い人だし、キャリアも長いし、たくさんのことをしてきた人です。
簡単に彼のことをわかった風に書けるものではないんですよね。
これからもがんばります、全てはマイケルの為にっ!!


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MJとフレディ・マーキュリー

マイケルと交流のあった有名人について、今後追々書いていきたいと思います。
まずは、先日コメントでリクエスト(?)を頂いた、私も大好きなクイーンの偉大なるボーカリスト=フレディ・マーキュリーとの関係について。

●はじめに● (1/15追記)
この記事は、主に西寺郷太さんの著書:新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書 ― からの引用と、過去に読んだ本や雑誌類の記事に、私個人の解釈と感想を加えて書いたものです。
何箇所か ※注:として書き加えたものは、本の記載の間違いであると考えられるもの、別の解釈があるものについてです。


マイケルとフレディ。二人の出会いは、1977年に遡る。マイケル19歳、フレディが31歳の時だ。
その年、マイケルは映画「WIZ」のリハーサルと撮影の為にエンシノの自宅を離れニューヨークに長期滞在することになった。一緒に付いてきた仲良しの姉ラトーヤと二人で部屋を借りて暮らしていた。

ニューヨークにある伝説的なディスコ「スタジオ54」には、世界中から多くの有名人が集まっていた。常連となったマイケルとラトーヤは、ここであらゆる分野のセレブリティと知り合いになり、マイケルとフレディとの初めての出会いもこの場所だった。
他にも、アンディ・ウォーホール、ウディ・アレン、ライザ・ミネリ、ミック・ジャガー、スティーヴン・タイラー等、そうそうたる顔ぶれ。マイケルは彼らに歓迎され可愛がられたのだった。

フレディをはじめ、黒人音楽マニアだったクイーンのベーシスト、ジョン・ディーコンなど多くのアーティストから、自分達ジャクソン・ファイヴやモータウンサウンドがリスペクトされていることを知ったマイケルは、とても驚き喜んだという。
「いつか一緒に音楽を作れたらいいね。」― そんなことをフレディと語り合っていたという。

マイケルは元々、R&Bはもちろんクラッシックからロックまで色々なジャンルの音楽を好み聴いていた。ビートルズの大ファンでもあったマイケルが、このスタジオ54での様々なジャンルの人々との出会いに多くの影響を受け、その後、ロックにどんどん心酔していく。こういう経験が、マイケルの音楽性の幅を広げたのは間違いないと思う。

その後、マイケルはアルバム「オフ・ザ・ウォール」でソロとして大成功を収める。フレディとはその前後も頻繁に連絡を取り合っていた仲であり、マイケルはフレディを心からリスペクトし、ライヴやスタジオにも通い、彼から多大な影響を受けた。

一方フレディの方も、ジャクソン・ファイヴ時代からのマイケルファンであり、「オフ・ザ・ウォール」はインタビューなどで必ず好きなアルバムの一つに挙げるほどだった。ジャクソン家のエンシノの豪邸を訪れたりして、二人は個人的な親交も深めていった。

一つ、忘れてはいけないエピソードがある。
80年7月上旬、前月末に発売されたばかりのクイーンのアルバム「ザ・ゲーム」を聴いたマイケルがツアー中のクイーンの楽屋を訪れ、「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト(地獄に道連れ)」を絶対にシングルで出した方がいい、と強力に勧めたそうだ。メンバー内では賛否両論、もめていた曲だったそうだが、半信半疑ながらMJアドヴァイスによりシングルカット。結果、クイーン初の全米ナンバー1ヒットになったのだった。
マイケルの時代の流れを読む天才的な嗅覚は、ここでも発揮されたというわけだ。この頃からプロデューサーとしての並はずれた才能も光っていたのだろう。

※注1:
(クイーン初の全米ナンバー1ヒットは、79年、フレディ作『Crazy little thing called love(愛という名の欲望)』。全英2位、全米で1位に輝いている。「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト(地獄に道連れ)」は、チャート1位を何週も独走する大ヒットになったが、「初」ではなかった。)

81年当時、マイケルとフレディの間には、お互いのアルバムでそれぞれ数曲コラボレーションしようという「約束」があった。そして、それはある程度大まかな構想が既に出来上がっていたらしい。
しかし、お互いの多忙さ、立場のズレやちょっとした誤解等が重なり、二人の友情関係には決定的な亀裂が生じてしまい、夢の共演は幻となってしまったのだった。

西寺郷太さんの著書によると、主に3つの構想があったということだ。

◆共演構想‐1
マイケル作の「ステイト・オブ・ショック」をフレディとデュエットし、マイケルのアルバムに収録する。

新作アルバム「スリラー」の制作の時間不足と、既にこのアルバムではポールとの共演があるので、クインシーがフレディのゲスト参加は認めないと判断したことにより、実現しなかった。

フレディはかなり落胆したそうだが、当時マイケルにはそこまでの権限はなかった。

この曲は84年、ジャクソンズのアルバム「ヴィクトリー」からの1stシングルとして発売されるが、デュエット相手はミック・ジャガーに変更されていた。この時点で二人の関係は修復不可能になっていたようだ。

※注2:
(QUEEN公式DVDに入っているフレディインタビューによると、フレディはマイケルから電話で連絡を受け、ミックが歌うことを快諾したと答えている。)

◆共演構想‐2
フレディ作のバラード、「ゼア・マスト・ビー・モア・トゥ・ライフ・ザン・ディス(生命の証)」をデュエットし、フレディのソロアルバムに収録する。

85年4月、フレディが単独で歌い自身のソロアルバム「ミスター・バッド・ガイ」に収録。
マイケルはこの曲をとても愛していて、どうしても欲しいと頼んだそうだが、それは叶わなかった。

◆共演構想‐3
お互いのバンド同士、ジャクソンズとクイーンで「ヴィクトリー」という曲を共作し、一緒にアルバムに入れる。
曲はクイーンのアルバム「ホット・スペース」のセッション中に途中まで出来ていた。

実現できなかったが、「ヴィクトリー」というタイトルはジャクソンズのアルバムやツアータイトルに使われた。
フレディはこのことにも不満を述べていたそうだ。

※注3:
(フレディインタビューによると、ビクトリーというタイトルをジャクソンズで使うということは最初から了承済みだったようで、フレディが怒っている様子は見えない。)



フレディには、「スリラー」制作当時のマイケルが、自分の入れたい曲をアルバムに入れられないという立場が理解できず、一方、マイケルの方も、冗談交じりにフレディが言った『スリラーで共演していればものすごくお金持ちになれたのに、儲け損ねた』などという言葉に、お金の為の友情だったのか、自分は本当の友達だと信じていたのに、と真剣に傷ついてしまったらしい。
ちょっとした誤解から、二人の信頼関係には大きな亀裂が入ってしまっていた、ということのようだ。

スーパースター同志が友情を育むのって難しいんだろうな。ビジネスや利害まで絡んできてしまうから。
極端にそういうことに敏感にならざるを得なかったマイケルの人生を考えると、フレディに対してさえ裏切られたと真剣に受け止めてしまったのは仕方ないかもしれない。
でもとても残念でならない。お互いが直接話す機会がもっとあれば、誤解なんてすぐに解けただろうに…。
簡単に会えない上に、お互いの周囲の喧騒の中でどんどん誤解が誤解を生んでいってしまったのかもしれない。

クイーンもそうだが、とにかくマイケルが忙しすぎた。彼の人生で一番充実していた時期である半面、桁外れの忙しさ。マイケル自身も自分を取り囲む異常な世界の中で、あらゆるものに翻弄され、それでも「マイケル・ジャクソン」であり続ける為に必死に頑張っていたに違いない。

ところで、「ステイト・オブ・ショック」のマイケルとフレディによるデモはインターネットで出回っているそうだ。
それにしても、この2大天才ボーカリストの夢の競演、実現しなかったのは本当に残念!


私にとってクイーンは大好きなバンドだった。もちろん今でもよく聴いている。
特に「オペラ座の夜」「華麗なるレース」「シアー・ハート・アタック」なんかは、洋楽に本格的にハマり始めた頃に相当聴きこんだ。特に好きな曲は「キラー・クイーン」かな。「ボヘミアン・ラプソディ」の強烈な印象は今でも忘れない。なに?オペラ?ロック?ここ何語?みたいな。とにかくフレディの七色の声と声量、奇抜な個性は素晴らし過ぎた。

フレディとマイケル、一見、全く共通点がないように思える。
でも実は、お互いにリスペクトし合う、音楽に魅せられた者同士だった。
マイケルはフレディと出会い、音楽的な作風、ステージパフォーマンス、衣装など、あらゆる面で彼からの影響を受け、それを自分のなかに取り入れて消化し、最高の独自のスタイルを完成させていったのだ。
歌い方も声の質も全然違うこの二人のデュエットが、もしも正式に実現していたら最高に面白かっただろうなあと考えると、残念で仕方がない。

思わぬことで途絶えてしまった二人の友情だが、私には、マイケルはずっと仲直りしたかったんじゃないかと思えて仕方がない。
「本当の友達」を生涯求め続けたマイケルだったが、フレディに憧れ、共感し、そして友人としても心から求めていたことは間違いないと思う。だからこそ反動も大きかったのだろう。

91年、フレディは45歳という若さでエイズにより他界。二人の仲直りは叶わなかった。

フレディのパートナー、ジム・ハットン氏によれば、フレディは、『短い付き合いながらマイケルのことが好きだった。でもマイケルには自分のユーモアが通じない気がしていた。』と言っていたそうだ。そして、マイケルの家へ遊びに行った折の面白いエピソードを思い出しては、よく笑っていたという。


二人はきっと天国で、仲直りしているんじゃないだろうか。
そして今頃は、音楽談義、かな?
それともまたフレディがマイケルをからかって、ケンカしてないといいけど…?(笑)


参考:西寺郷太著  新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書
新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書
(2009/09/10)
西寺 郷太

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