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MJとフレディ・マーキュリー

マイケルと交流のあった有名人について、今後追々書いていきたいと思います。
まずは、先日コメントでリクエスト(?)を頂いた、私も大好きなクイーンの偉大なるボーカリスト=フレディ・マーキュリーとの関係について。

●はじめに● (1/15追記)
この記事は、主に西寺郷太さんの著書:新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書 ― からの引用と、過去に読んだ本や雑誌類の記事に、私個人の解釈と感想を加えて書いたものです。
何箇所か ※注:として書き加えたものは、本の記載の間違いであると考えられるもの、別の解釈があるものについてです。


マイケルとフレディ。二人の出会いは、1977年に遡る。マイケル19歳、フレディが31歳の時だ。
その年、マイケルは映画「WIZ」のリハーサルと撮影の為にエンシノの自宅を離れニューヨークに長期滞在することになった。一緒に付いてきた仲良しの姉ラトーヤと二人で部屋を借りて暮らしていた。

ニューヨークにある伝説的なディスコ「スタジオ54」には、世界中から多くの有名人が集まっていた。常連となったマイケルとラトーヤは、ここであらゆる分野のセレブリティと知り合いになり、マイケルとフレディとの初めての出会いもこの場所だった。
他にも、アンディ・ウォーホール、ウディ・アレン、ライザ・ミネリ、ミック・ジャガー、スティーヴン・タイラー等、そうそうたる顔ぶれ。マイケルは彼らに歓迎され可愛がられたのだった。

フレディをはじめ、黒人音楽マニアだったクイーンのベーシスト、ジョン・ディーコンなど多くのアーティストから、自分達ジャクソン・ファイヴやモータウンサウンドがリスペクトされていることを知ったマイケルは、とても驚き喜んだという。
「いつか一緒に音楽を作れたらいいね。」― そんなことをフレディと語り合っていたという。

マイケルは元々、R&Bはもちろんクラッシックからロックまで色々なジャンルの音楽を好み聴いていた。ビートルズの大ファンでもあったマイケルが、このスタジオ54での様々なジャンルの人々との出会いに多くの影響を受け、その後、ロックにどんどん心酔していく。こういう経験が、マイケルの音楽性の幅を広げたのは間違いないと思う。

その後、マイケルはアルバム「オフ・ザ・ウォール」でソロとして大成功を収める。フレディとはその前後も頻繁に連絡を取り合っていた仲であり、マイケルはフレディを心からリスペクトし、ライヴやスタジオにも通い、彼から多大な影響を受けた。

一方フレディの方も、ジャクソン・ファイヴ時代からのマイケルファンであり、「オフ・ザ・ウォール」はインタビューなどで必ず好きなアルバムの一つに挙げるほどだった。ジャクソン家のエンシノの豪邸を訪れたりして、二人は個人的な親交も深めていった。

一つ、忘れてはいけないエピソードがある。
80年7月上旬、前月末に発売されたばかりのクイーンのアルバム「ザ・ゲーム」を聴いたマイケルがツアー中のクイーンの楽屋を訪れ、「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト(地獄に道連れ)」を絶対にシングルで出した方がいい、と強力に勧めたそうだ。メンバー内では賛否両論、もめていた曲だったそうだが、半信半疑ながらMJアドヴァイスによりシングルカット。結果、クイーン初の全米ナンバー1ヒットになったのだった。
マイケルの時代の流れを読む天才的な嗅覚は、ここでも発揮されたというわけだ。この頃からプロデューサーとしての並はずれた才能も光っていたのだろう。

※注1:
(クイーン初の全米ナンバー1ヒットは、79年、フレディ作『Crazy little thing called love(愛という名の欲望)』。全英2位、全米で1位に輝いている。「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト(地獄に道連れ)」は、チャート1位を何週も独走する大ヒットになったが、「初」ではなかった。)

81年当時、マイケルとフレディの間には、お互いのアルバムでそれぞれ数曲コラボレーションしようという「約束」があった。そして、それはある程度大まかな構想が既に出来上がっていたらしい。
しかし、お互いの多忙さ、立場のズレやちょっとした誤解等が重なり、二人の友情関係には決定的な亀裂が生じてしまい、夢の共演は幻となってしまったのだった。

西寺郷太さんの著書によると、主に3つの構想があったということだ。

◆共演構想‐1
マイケル作の「ステイト・オブ・ショック」をフレディとデュエットし、マイケルのアルバムに収録する。

新作アルバム「スリラー」の制作の時間不足と、既にこのアルバムではポールとの共演があるので、クインシーがフレディのゲスト参加は認めないと判断したことにより、実現しなかった。

フレディはかなり落胆したそうだが、当時マイケルにはそこまでの権限はなかった。

この曲は84年、ジャクソンズのアルバム「ヴィクトリー」からの1stシングルとして発売されるが、デュエット相手はミック・ジャガーに変更されていた。この時点で二人の関係は修復不可能になっていたようだ。

※注2:
(QUEEN公式DVDに入っているフレディインタビューによると、フレディはマイケルから電話で連絡を受け、ミックが歌うことを快諾したと答えている。)

◆共演構想‐2
フレディ作のバラード、「ゼア・マスト・ビー・モア・トゥ・ライフ・ザン・ディス(生命の証)」をデュエットし、フレディのソロアルバムに収録する。

85年4月、フレディが単独で歌い自身のソロアルバム「ミスター・バッド・ガイ」に収録。
マイケルはこの曲をとても愛していて、どうしても欲しいと頼んだそうだが、それは叶わなかった。

◆共演構想‐3
お互いのバンド同士、ジャクソンズとクイーンで「ヴィクトリー」という曲を共作し、一緒にアルバムに入れる。
曲はクイーンのアルバム「ホット・スペース」のセッション中に途中まで出来ていた。

実現できなかったが、「ヴィクトリー」というタイトルはジャクソンズのアルバムやツアータイトルに使われた。
フレディはこのことにも不満を述べていたそうだ。

※注3:
(フレディインタビューによると、ビクトリーというタイトルをジャクソンズで使うということは最初から了承済みだったようで、フレディが怒っている様子は見えない。)



フレディには、「スリラー」制作当時のマイケルが、自分の入れたい曲をアルバムに入れられないという立場が理解できず、一方、マイケルの方も、冗談交じりにフレディが言った『スリラーで共演していればものすごくお金持ちになれたのに、儲け損ねた』などという言葉に、お金の為の友情だったのか、自分は本当の友達だと信じていたのに、と真剣に傷ついてしまったらしい。
ちょっとした誤解から、二人の信頼関係には大きな亀裂が入ってしまっていた、ということのようだ。

スーパースター同志が友情を育むのって難しいんだろうな。ビジネスや利害まで絡んできてしまうから。
極端にそういうことに敏感にならざるを得なかったマイケルの人生を考えると、フレディに対してさえ裏切られたと真剣に受け止めてしまったのは仕方ないかもしれない。
でもとても残念でならない。お互いが直接話す機会がもっとあれば、誤解なんてすぐに解けただろうに…。
簡単に会えない上に、お互いの周囲の喧騒の中でどんどん誤解が誤解を生んでいってしまったのかもしれない。

クイーンもそうだが、とにかくマイケルが忙しすぎた。彼の人生で一番充実していた時期である半面、桁外れの忙しさ。マイケル自身も自分を取り囲む異常な世界の中で、あらゆるものに翻弄され、それでも「マイケル・ジャクソン」であり続ける為に必死に頑張っていたに違いない。

ところで、「ステイト・オブ・ショック」のマイケルとフレディによるデモはインターネットで出回っているそうだ。
それにしても、この2大天才ボーカリストの夢の競演、実現しなかったのは本当に残念!


私にとってクイーンは大好きなバンドだった。もちろん今でもよく聴いている。
特に「オペラ座の夜」「華麗なるレース」「シアー・ハート・アタック」なんかは、洋楽に本格的にハマり始めた頃に相当聴きこんだ。特に好きな曲は「キラー・クイーン」かな。「ボヘミアン・ラプソディ」の強烈な印象は今でも忘れない。なに?オペラ?ロック?ここ何語?みたいな。とにかくフレディの七色の声と声量、奇抜な個性は素晴らし過ぎた。

フレディとマイケル、一見、全く共通点がないように思える。
でも実は、お互いにリスペクトし合う、音楽に魅せられた者同士だった。
マイケルはフレディと出会い、音楽的な作風、ステージパフォーマンス、衣装など、あらゆる面で彼からの影響を受け、それを自分のなかに取り入れて消化し、最高の独自のスタイルを完成させていったのだ。
歌い方も声の質も全然違うこの二人のデュエットが、もしも正式に実現していたら最高に面白かっただろうなあと考えると、残念で仕方がない。

思わぬことで途絶えてしまった二人の友情だが、私には、マイケルはずっと仲直りしたかったんじゃないかと思えて仕方がない。
「本当の友達」を生涯求め続けたマイケルだったが、フレディに憧れ、共感し、そして友人としても心から求めていたことは間違いないと思う。だからこそ反動も大きかったのだろう。

91年、フレディは45歳という若さでエイズにより他界。二人の仲直りは叶わなかった。

フレディのパートナー、ジム・ハットン氏によれば、フレディは、『短い付き合いながらマイケルのことが好きだった。でもマイケルには自分のユーモアが通じない気がしていた。』と言っていたそうだ。そして、マイケルの家へ遊びに行った折の面白いエピソードを思い出しては、よく笑っていたという。


二人はきっと天国で、仲直りしているんじゃないだろうか。
そして今頃は、音楽談義、かな?
それともまたフレディがマイケルをからかって、ケンカしてないといいけど…?(笑)


参考:西寺郷太著  新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書
新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書
(2009/09/10)
西寺 郷太

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追記・MJとフレディ・マーキュリー | top | 「THIS IS IT」 3回目

Comments

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by: | 2010/01/14 23:20 | URL [編集] | page top↑
# >aさま☆
はじめまして。
フレディの情報を教えてくださり、どうもありがとうございました!
私も抜けているところがたくさんあるので、今回のようなご指摘はとてもありがたいです。
こういうインタビュー映像は知りませんでした。色々な面から考えないといけませんね;
真実を探るのが私の目的ですので、とても助かりました。早速追記させていただきます!

これからもまた、なにかお気付きの点などありましたら、遠慮なく教えてくださいませ☆
コメント、本当にどうもありがとうございました!!
by: sayu | 2010/01/15 12:15 | URL [編集] | page top↑
# 管理人のみ閲覧できます
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by: | 2010/01/15 23:18 | URL [編集] | page top↑
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by: | 2010/10/22 00:56 | URL [編集] | page top↑
# >非公開・エ********さん(10/22)☆
はじめまして。ようこそ!

嬉しいお申し出、ありがとうございます!光栄です。
後ほどゆっくりとお邪魔させていただきますね。楽しみです☆

クイーンは大好きですよ!今でもよく聴いています♪

こちらこそよろしくお願いいたします!
それではまた後ほど~e-420
by: sayu | 2010/10/22 13:50 | URL [編集] | page top↑
# 注 3つ ありがとう
ああそういう事情・解釈もあったのか?
何だかとてもうれしく読みました。

フレディーと仲違いをしたということに心痛めていましたし、とても残念に思っていたので、少しホッとしました。

Queen・フレディーファンの方も熱いですよね(*^_^*)
何といっても、声やスタイルのの素晴らしさ、歌の良さももちろん魅力ですが、ステージパフォーマンス、ビジュアルについていくには、かなりの懐の深さが必要なんて思ったりして・・・・
すっごくカッコ良いんだけど、時にアレ?みたいな このファッションですか?、ここで脱ぐんですか?みたいな?? 

きっと今頃はふたり、あんなこともあったとね!と笑いあって仲よくしていることと思います。強く希望!!

さっき、クイーン 聴き始めました!
時間がないので、Jwels
はは ヒット曲満載アルバム?

ブログ読みながら、今度はQueenに酔いながら、マイケルに思いを馳せて・・
マイケルのおかげで視野が広がりましたね~
by: ぱこ | 2010/12/21 14:55 | URL [編集] | page top↑

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